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2019.09.06 スイカ。
あ~暑い…郵便局まで行って帰ってきたらヘロヘロだよ…
一時期より少しはマシになったけど、でも暑い…あ~スイカ食べたいなぁ…
この夏は、まだ1回しか食べてないなぁ…
スイカバーはいっぱい食べたけど(笑)

スイカ…みつこちゃん大好きだったなぁ…一緒によく食べたなぁ…

なんだろ、今まで以上に色々想う。
一年経ったからかなぁ?でも、大々的な?一周忌法要はしていない。
兄たちと私たち夫婦の4人でお墓参りに行って、帰りにご飯を食べておしまい。
お墓も車で15分ほど行ったお寺の樹木葬でお願いしたから、
父もみつこちゃんもそこの桜の木の下で眠ってる。

これだけは生前にちゃんと話しておけたこと。
「残す孫もいないし、お葬式とかお墓もお金かけなくていいから」と、
二人して互助会に入って、その分だけ用意しておいてくれた。
生命保険が逆だっただけに(笑)、これはとても助かった。

担当の方もとても親切で、色々とお世話になった。
樹木葬のお寺も両親に教えてくれたのはこの方で、下見にも連れて行ってくれたらしい。
お仕事とは全く関係ないのに、
その場所すら知らない私等子供たちもわざわざ車で連れて行ってくれた。
父の葬儀の打ち合わせで初めて会って、それからは親戚のおばちゃんみたいな存在(笑)
「そうなった時は、Machicoに言えばみんなやるから頼むね。」って言われてたらしい。
兄たちにも会ってその意味が分かったらしく、
「Machicoちゃん大変だね(笑)でも、手伝うからしっかりがんばりなさい。」って、本当に良くしてくれた。
実の叔母より全然助けてくれたなぁ…

その実の叔母は、みつこちゃんの病気が分かってからというもの、
私が電話で様子を伝えた時も、みつこちゃんのお見舞いに来た時も、
ただただ「かわいそうに、かわいそうに」と言って泣き続ける…
最初のうちは、叔母も受け止められるまでは仕方ないかな~って思ったけど、
結局ず~っとそうで、私から連絡することも減っていった。
みつこちゃんも「もう来ないように言って!あの子はずっと泣いてるからイヤ!
もう誰にも会いたくない!子供たちだけ来てくれればいいから!」と、拒絶するように…
そらそうだ。
一番辛いはずの本人を目の前に哀れんで泣いてばかりじゃ、本人がやりきれないよね。
会いに来たんだったら、しっかり元気づけてくれなくちゃ。

てか、みつこちゃんは全然かわいそうじゃない。
そりゃあ病気になったのは気の毒だけど、それまでは元気に過ごしてこれたんだから。
12人兄妹の6番目に生まれて、決して裕福ではなかった家庭でも、
みつこちゃんは若い頃からあんまりお金に困ることもなく、
やりたいことをやって好きに自由に生きてきた。
50代から72歳まで呉服販売を続けて、色んな方と知り合って、あちこち旅行もして、
欲しいもの買って、うちの中で一番派手に生きてきた人だと思う(笑)
仕事を辞めてからは「つまんない」「生き甲斐もないし」とか言っちゃって、
文句ばっか言うかわいくない婆さんになったけど、とにかくわがままに生きたよ(笑)
だから父とは喧嘩も多かったけど、充実した幸せな人生だったと思う。

だからこそ…
痛みも挫折も知らなかったから、最期の『癌』が受け入れられなかったんだよね…

私は私で、その受け入れられないことが受け入れられなくて、
みつこちゃんが食べることを止めたことに怒って、
「しっかり食べて、しっかり出して、しっかり眠らなきゃダメでしょ!」と、
何度も何度も抱きしめては、泣きながら言い聞かせていた。
「余計なことは考えなくていいから、安心してゆっくりしてよ」と言っても、
「考えるなって言ったって、考えちゃうんだからしょうがないでしょ!」とキレる。
そうしてみつこちゃんはどんどん病んでいき、
「もう食べろって言わないで…入院させて…病院がいい…」と言って、家からいなくなった。

父が亡くなったことを伝えに行った時、「最期なんだから会いに帰ろうよ。」と言っても、
「いい、会わない。会わなくていいの。」
葬儀の時も「もうホントに会えなくなっちゃうんだよ?お葬式には出ようよ。」言っても、
「いいの。ここで手合わせるから。もういいの。もう言わないで。」と、頑なだった…

しっかしなんであんなに頑固なんだ?
今更遅いけど、私が違う言い方をしてたら違ってたのかな?
でも私も夢中で、とにかく元の生活に戻してあげたくて色んな言葉をかけたけど、
結局はみつこちゃんを追い詰めちゃったんだよね…

まだみつこちゃんの意識がハッキリしていた頃、面会に行くとよく言われた。
「Machicoちゃんはいつも笑ってるね~。何がそんなに楽しいの?」と、
私を覗き込んで、本当に不思議そうな顔で(笑)
「もうね、怒ったり泣いたりしないって決めたの。 せっかく会えたんだから笑ってるの。」
「そっかぁ~そうだね~それがいいね~!」と言って笑ってくれた。
すっかり痩せてやつれてくしゃくしゃな笑顔だったけど、なんかかわいかった。

ホントさ…やり直せるなら、検査結果を聞いたところからやり直したいよ。
タイムマシンがあったら、たとえリスクがあったとしても、迷わずあの日に行くよ…

はぁ…今日はホント暑い。
DSC_0903.jpg
スイカ買って帰るね。
2019.08.26 一周忌

去年の今日、みつこちゃんが亡くなりました。

今日が近づくにつれ、なんちうか、そわそわ…どきどき…ざわざわ…
言葉にするのが難しい感覚。

ぷ~ちゃんのことも
たるちゃんのことも
にょ~ちゃんのことも
父のことも

どんだけ後悔したか分からないくらい後悔しかありませんでした。
それをそのまま、今もずーーーーーーーーーーっと引きずってます。


そして、もちろんみつこちゃんのことも…


もっとできることがあったんじゃないか、

もっと分かってあげなきゃいけなかったんじゃないか、

みんなに対してそう思って、それから毎日思わない時はなくて、

どんな最後でも後悔するのは分かっていたけど…

ここまで後悔しか残らないなんて、すごく辛いし、すごく苦しいです。


でも、一番辛くて苦しかったのは、亡くなったみんなだから…


それが長く続かなくて良かった。
『どんな状態でも、どんな姿でもいいから生きていてほしい』
って思うのが普通かもしれないけど、それは私のエゴだって途中で気付いたから、
急死した父以外のみんなの最後は、無理な延命はしませんでした。


それにしても、だぁれも夢にも出てきてくれない。
特にみつこちゃんなんか、毎晩のように出てきて文句言いまくったらいいのにさ(笑)
いい年して子供すぎる兄二人を残してさ、大事なことも話す間もなく逝っちゃってさ…ズルイよ。

あ、違うな、大事なこと話そうとしてたのに、私が嫌がったんだった。
だから今大変な思いしてるのは自業自得か(笑)

でも、あなたの娘はちゃんと生きているよ。

毎日しっかり食べて、しっかり働いて(?笑)、しっかり寝て、
毎日しっかりいっぱい笑って生きているよ。

次に会えるのは、まだしばらく先かもしれないけど、
その時まで図太く生きていくから、何も心配しないでゆっくり休んでね…

あ、でも兄たちのことはなんとかしてください。
これだけはマヂでお願い
入院中の母、みつこちゃんの発言…

「朝ごはん食べた?」夜に聞く。
「おばあちゃん、病院に連れて行った?」おばあちゃんはアナタです。
「赤ちゃんにおっぱいあげた?」うちには赤ちゃんはいませんよ。
「私、お金ないんじゃないの?」ちゃんと年金が入ってますから…

みつこちゃんは、うつ病です。

去年の7月に大腸癌が発覚して、8月10日に手術をしました。
いつ腸閉塞になってもおかしくない状態のステージⅢとのことで、
全て取りきれるか分からないほど大きくなってた腫瘍でしたが、
開腹して悪いところは全部摘出できたそうです。
ただ、十二指腸に浸潤が認められたそうで、でも、年齢的にも進行は遅いと思うので、
体調と体力に合わせて、弱めの抗がん剤治療で様子を見ましょうと言われました。

9月1日に退院。
2週間後に抗がん剤を始めるまでは、
とにかくたくさん食べて体力つけて、体調を整えておくように言われ、
同居している下の兄は、一生懸命美味しいご飯を作ってくれました。
最初は「おいしい!おいしい!」と母も大喜びで頑張って食べていましたが、
次第に「ちょっと食べすぎだなぁ…」とか、「こんなに食べちゃいけないね」とか、
食べる量を勝手に抑えるようになっていきました。
食事制限もないので、「そんなことないよ、いっぱい食べていいんだよ。」
「身体にいいものをよく噛んでいっぱい食べて、しっかり出すもの出さないとね。」等々、
兄と私で何度言い聞かせても言うことを聞いてくれず…
よくよく聞いてみると、「今まで食べたいもの好きなだけ食べ歩いて、
贅沢してたからこんな病気になっちゃったんだ…」と、悲しそうに言いました。
びっくりした私は、「そんなことないし(笑)誰だってやってることだよ。
それに贅沢って言うほど贅沢してないし!だから逆に今はもっとう~んと贅沢していいよ!
一緒に美味しいものい~っぱい食べに行こうよ!」と言っても、母の気持ちは変わらず…

母としては、これまで血圧が高くて薬を飲んでいたけど、それ以外は大きな病気もせず、
そんな自分がまさか癌になって手術までするなんて思ってもいなかったようで…

どうしても、病気を受け止めることも、病気に立ち向かうこともできない状態でした。
今思えば、『癌』という言葉を口にすることも、手術で摘出した腫瘍を見ようともしなかったのは、
それだけショックで、病気に係わる全てのことを考えたくなかったのでしょう…

でも兄と私は、病気が分かるまでの母しか知らないので、
あれだけ気丈だった母が、てか、あれだけ何を言っても文句しか言わなくなっていた
憎たらしい婆さんが、まさかここまで気を落とすとは思ってもいなかったので、
一緒にいる時間を作ってとにかく励まし続けていました。
でもそれが母にとっては、プレッシャーになっていたのかもしれません。
何を言っても『また怒られちゃった…』『子供たちに迷惑ばっかりかけてる…』と、
どんどん自分を追い込んで口数が減り、「具合が悪いの、入院させて」と、
自宅にいることを不安に思うようになっていき、入退院を繰り返すことに…

母のうつの症状は、この頃すでに始まっていたように思います。
でもなかなか判断しづらくて認めたくない思いも強かったのよね…

私としては、とにかく必死でした。
去年1月28日にぷ~ちゃんを看取り、その悲しみが続いてる中、
母の病気が分かる10日ほど前の7月11日にはたるちゃんが急死、そして母の癌発覚。
それ以降も、ずっと頑張ってくれていたにょ~ちゃんも日に日に弱り、10月6日に永眠…
もう何がなんだか分からない状況と心境のまま、必死で母を支えてきたつもりです。
それでもまだ不幸は続き、今年の1月10日に父まで亡くなるという…

いつかお別れする日がくるのは覚悟していたけど、こんなにも続くなんて、
もう去年からずーーーーーーーーーーーーーーーっと、『まさか』の連続で…
どんな最期でも後悔するのは分かっていました。
でもこれほどまでに後悔しかないものだとは…
そうは言っても、私がどんなに悲しみ嘆いたところで、誰も戻ってきてはくれません。
それならこれまでと変わらずに想い、愛し続け、私なりの供養をしていくことで、
痛みも苦しみもなく、安らかに眠ってくれるんじゃないかと思うようにしています。
でも…今でも突然、深い深い悲しみに襲われ、泣きわめく時があります。
それでも立ち直れるのは、どんな時も笑ってそばにいてくれる旦那さんと、
今も変わらず元気でいてくれる、かわいいかわいいぱんちゃんのお陰です

母のうつ症状は、加速しています。
脳のひどい萎縮は見られないので【認知症】ではありませんが、
意識が朦朧とすることも多くなってきました。
食事も経口摂取をしなくなってだいぶ経つので、IVH(中心静脈栄養)で補給するしかなく、
急激な体力の衰えで自分で身体を動かすこともできなくなり、要介護4の認定を受けました。
ひと月ほど前には、胸水、腹水が溜まりはじめているので、
おそらく癌の転移、再発の可能性が高いでしょうと、主治医から言われています。
(定期的な検査では、目に見えるはっきりした癌は確認できていません。)
こうなると、余命は2~3ヶ月だそうです…

ただ、39度とかの高熱を出しても自力で下がっちゃうとか、
ひどい貧血を起こしても二度の輸血で落ち着いちゃうとか、
もう骨と皮だけになったあの身体で、どこにそんな力が残っているのか…
「もう、いなくなりたいの」とか言ってたくせに、しっかり生きてるじゃないのよ(笑)
でもどうせならその逞しさを、術後に発揮してほしかったよ

この約10ヶ月間の闘病で、色々なことを考えさせられました。
母の状態に一喜一憂して、ほとんど私任せで温度差のある兄たちに苛立ち、
自分の色々な感情と葛藤に苦しみ、途方にも暮れました。

でも一番辛くて苦しくてやり切れないのは母なので…

母に会う時は笑っています。
母のおかしな発言には、ゲラゲラ大笑いします。
そうすると母はきょとんと不思議そうな顔をして、そのうちにんまり笑います
もうすぐ母ともお別れだけど…それまで、1回でも多く一緒に笑おうと思います。